母を見送って

昨年11月に長く患っていた母を見送りました。体が思うように動かなくなる病気で、トイレや入浴が思うに任せなくなって約7年。最近では食べ物が飲みこめなくなり、最後は唾が飲みこめないことに苦しむひびでしたので、やっと楽になったかな、と思います。

ものが食べられなくなり、やせ細ってきたうえに、誤嚥性肺炎を起こした時には妹と相談して胃瘻を作ってもらいました。以前、患者の家族として説明を受けながら、家族の思いを綴っていた高名な心臓外科の先生がいらっしゃいましたが、家族となると本当に判断が鈍るものだと痛感しました。どうしてあげれば母に一番よかったのか、今もわかりません。結果論としては(母に限って言えば)胃瘻はしない方がよかったかも知れませんが、あれほど痰による苦しみがある、というのがわかりませんでしたので、もし稀なことであれば、「100人いれば、した方がいい場合が多かったのかも知れない」とも思います。総論としては多くの同様の患者を診ていないのでわかりません。

7年以上、1日おきにかよいましたが、滞在時間はわずかなものでした。たまたま、亡くなる前の日に、私の息子と病室を訪れた時、「しっかりしやあよ」と繰り返し、学生だった息子に言っていたのが印象的でした。翌朝には(早朝連絡があり到着と同時に蘇生を断った)話をすることができなかったのですが、この春卒業した孫の姿をみせてやりたかったと思います。

私自身としては別れの会話は存分にできました。もう少し優しい言葉をかけてあげればよかった、という思いはありますが、言葉がやさしくなかったのは最後まで母に対する甘えであったということで許してほしいとおもいます。以前から末期の患者さんの家族には、「息を引き取る瞬間に横にいることが大切なのではない、話ができるうちにしっかりお話ししてください」と病棟でも言っていましたし。最近は薄れてきていますが、なにか親の死に目に会えない、というのが悪いことをした罰のようにいうのはやめてほしいと思います。

明け方亡くなって、初めて外来をドタキャンの休診にしました。お見えの方々、ご迷惑をおかけしました。薬が切れる方には大変迷惑な話です。枕経を読んでもらい、葬儀の手配をしたのち、夕方の外来、翌日の外来(幸い土曜日)をこなし、月曜日の告別式の日も、私は(早目には切り上げましたが)午前中、夕方の外来をやりました。

都会の方はご存じないかもしれませんが、当地はまだ講組という浄土真宗のグループがあり、葬儀を仕事を休んで手伝いあうのが普通です。本来は連絡して、仕切っていただくのが普通なのですが、どう考えても彼らに仕事を休ませて、私が外来をするのではすじが通りません。考えたうえで、講組に依頼はせず、兄弟と葬儀社と職員に手伝ってもらうことにしました。あとで村の長老の一人に怒られましたが。

こうやって書いていて、幼いころ怒られたこと、かわいがってもらったことなどが浮かんでは来るのですが、それは言葉にできる事ではなく、ここではご迷惑をかけた当日来院された皆様と、近所の方々へのお詫びをさせていただきます。