2008年開業日記アーカイブ

※ 旧ウェブサイトの2008年の「開業日記」の記事のアーカイブです。

2008年12月15日 12月12日にいただいたご質問

先日、お問い合わせをいただき、指定のアドレスに返事をさせていただいたつもりなのですが、なんど送っても帰ってきてしまいます。こちらの不具合かもしれませんが、とりあえずご返事できなかったことをご報告させていただきます。ただ前医の治療内容が適切かどうかということでしたが、詳しい症状や検尿の所見(膿のぐあいや菌の種類など)がわからないと判断は難しいです、ととりあえず申し上げておきます。

よろしくお願いします。

2008年12月6日 忘年会の季節

開院して3度目の年の瀬があっという間にやってきました。今日は医師会の忘年会です。名古屋の駅から伏見までの道のりを歩いてみましたが、イルミネーションがきれいで、寒い中多くの人出であふれていました。ホテルの中も、宴会場はすごい人の数でした。他にも忘年会、結婚式などが何件もあったようです。パーティションで区切った今風のホテルと違い、柱や壁にも装飾の施された中に、趣のある絵や工芸品が飾られた会場は伝統を感じさせてくれました。料理も、素敵なフレンチで、これほどたくさんの料理をよく品質を維持してだせるものだと感心しました。来賓の方が多い分だけ、挨拶はすこし長めでしたが、その後2時間あまりは食事を楽しみながら、いろいろな方と話ができました。2年前には知らない方ばかりでしたが、顔見知りの方もずいぶん増えてきました。ひとりの医者の知識、ひとつの診療所の設備には限りがあります。横のつながりを大切にして、ひとの知恵と技術、よその医院、病院の設備を利用させてもらいながら、よりよい医療を提供できたらな、と思います。

さて、今年も年越しのカウントダウンが始まりました。やらねばならないことをリストアップし、うずたかく積まれた未整理の書類や本を片付け、大掃除をしなければなりません。前にも書きましたが私のもっとも苦手とする分野です。それでも先送りは問題解決にはなりません。少しずつでも、がんばっていこうと思います。

2008年11月19日 政治家のモラル

すでに世間では十分に報道されている問題ですが、東京の産科救急において、数病院に受け入れを断られ、収容が遅れたことに関し、某大臣が「医者のモラルの問題だ。忙しいだの医者がたりないだのいうのはいいわけに過ぎない。」とテレビで発言しました。あちこちから大変な抗議を受けた後、「医療に携わる皆様に誤解を与えたことにお詫び申し上げ、発言を撤回します」というお詫びコメントを代読という形で発表しました。さて、口が滑って、よく知りもしないことに失言をしてしまったのでしょうが、「誤解を与えた」というなら撤回はせず、自分のことばの真意を説明し、正しく発言の意味を理解してもらわなければいけないのではないでしょうか。誤解を与えたという表現には「本当は私の発言は間違っていない」という意図を感じます。正しくは「実情も知らないで失礼なことを言いました。私の発言が間違っていましたので取り消させてください。」と自分の口でいうのが今回の失言に対する正しい撤回のしかたではないでしょうか。さて、この大臣が辞任を求められないというのは、内閣がそういう考えということでいいのでしょうか。それとも「そんなたいした問題ではない」と思っているのでしょうか。政治家のモラルの問題かな、と思います。

2008年11月14日 TBSの考える勤務医の年収

今日朝、テレビをみていると阪南病院の勤務医が当初約束されていた給料の見直しをいわれ8人で辞表を提出したというニュースをやっていました。約束した給与を市長が変わったから見直しというのも十分ひどい話ですが、私がひっかかったのはその経緯の説明で、もともと経験5年目の医者が年収1200万円だったのが、歩合給を採用して民間病院並みの年収2000万円になった、というのをさらりといったことです。(この病院が医者確保のため提示したのなら、高いなあとは思いますがそれは約束なのだから払わなければいけないでしょう。それこそ落ち度がなければやめるまで払うのが常識と思います。)この5年目の民間病院並みが2000万円というのは、いったいどこの国の話なのか?と思います。世の中の人はこういう報道をみて、勤務医は大変、大変というけれどもずいぶんもらっているのだなあ、と思うのでしょう。給料は病院によりさまざまと思いますが、多くの5年目の医者は500万~600万程度と思いますし、私は20年以上勤務医をさまざまな病院でしてきましたが、一度もそんな給料をもらったことはありませんでした(それに近い給料をもらったこともありません)。身のまわりにも多くの勤務医がいますが、5年目でそこまでたどりついた人の話は聞いたことがありませんし、50代の部長、院長クラスでもごく少数というのが現状と思います。本当にこういうコメントには悪意を感じます。

自分の知らない世界の話には思わずそうかな、そうなんだな、と思ってしまうところも多いのですが、この手のニュースバラエティを見る時にはまゆにつばをつけてみていかなければいけないな、と思います。

2008年11月3日 柔道と剣道

今日たまたまつけたテレビで剣道の選手権をしばらくのあいだ見ていました。私は中学から高校まで柔道をやっていて、(どちらかというと弱く根性のない部員ではあったのですが)いつもとなりでやっている剣道も、(やったことはないのですが)それなりの興味をもってみていました。剣道は今でも試合が終われば一礼して淡々と面をはずし、素人には(旗をみていないと)どちらが勝ったのかわかりません。そこには勝利の笑みもなければガッツポーズなど無縁です。その姿は武道で自分を磨く修行者そのものです。さて、たまたま今日、柔道の金メダリストが総合格闘技に転ずる話が話題を呼んでいました。転向は勝手であり、マスコミ受けするコメントも(多少頭が悪く見えることを気にしなければ)自由といえば自由なのかと思います。ただ、柔道はもはや武道ではなくなったのかな、というちょっと寂しい思いはします。これは彼を見て思うだけではなく、相手を豪快に投げ飛ばしてガッツポーズをしながらたたみの上をかけまわって喜びを表現する女性金メダリストをみても思いましたが。柔道は国際的スポーツとして世界中に広がり、剣道とは比べ物にならないほど発展しているともいえます。これはこれですばらしいのだとは思うのですが、武道の持つ精神まで含めての修養(お前が極めたのかというツッコミはなし)という側面はもう求めてはダメということなのでしょうか。チラッとみただけでいうのは軽率かもしれませんが、剣道にはまだそのこころがありそうにも見えます。今から防具をつけて剣道をしようというわけではありませんが、全日本の試合などテレビ中継をみていこうかなと思いました。

2008年10月8日 弱小球団の星

パリーグの日程が終わり、最多勝と防御率のタイトルを楽天の岩隈投手が獲得しました。プロ野球をよく見るわけでもなく、楽天のファンというわけでもないのですが、楽天のスタート当初から岩隈投手は気になる存在でした。近鉄とオリックスの合併により1球団をつくる、という発想において良い選手を集めオリックスバファローズをつくり、残った選手を主体で新球団楽天をスタート、ということが行われたのですが、当然のごとくバファローズにさそわれた岩隈選手は、だんこ拒否し旧オリックスの仲間と楽天へ行く道を選んだのです。当初は(弱小球団をバックにし)勝ち星に恵まれず、不遇のスタートでしたが、今年はそれを乗り越えて21勝をあげ、最多勝を獲得し、楽天を最下位から脱出させたのです。もちろん楽天自体が成長したこともあると思います。一時は首位争いもしていましたし。岩隈選手の選択は、多くの選手が自分が育った球団を捨てて東京の某球団を目指す中、得な生き方ではないのかも知れませんが心うたれるものがありました。日本中の弱小企業、団体などで、私のように共感した人はきっと多いのではないかと思います。来年もがんばってほしいな、と心から思いました。

2008年9月25日 スランプ

最近、自転車のタイムがのびない、来院数が増えない、開業日記の更新ができない、など(さほど深刻に考えているわけではないのですが)若干スランプ気味です。考えてみれば全く運動をしていなかった人間が運動をし始めた当初は運動能力が目に見えてのびるのは当然でしょうし、ゼロ同然の状態から始めた医院の来院数が右肩上がりなのも当たり前といえば当たり前であったかもしれませんん。そしてひまがつらい、というほどひまな状態で開業日記をつらつらと書いていたのもさほど努力を要したとも思えません。こうして振り返ってみると今こそもう一段上をめざすために努力が求められているのかもしれません。それも闇雲な努力でなく、工夫して効率を上げる努力が。どうもひまに慣れすぎてわずかな隙間の時間を使って勉強したり、このページの更新をしたりするような生活から遠ざかってしまっていたかなと、ちょっと反省しました。

仕事も生活もマンネリになっているつもりはないのですが、きびしく見張られていない生活の中では自分で自分を見張っていかなければならないのかも知れません。医学の進歩から置いていかれないよう、体力の低下を招かぬよう、このページが廃墟にならないよう、努力していきたいと思います。

8月17日 高校の同窓会

開業日記を書き始めて初めて1ヶ月以上空いてしまいました。言い訳になりますが、おかげさまで診療時間内の更新(診察が30分以上はぽっかりと空かないと難しい)が最近困難になってきていることと、大学に入って帰省中の息子と昼間の休憩時間を過ごしていたこともありました。いくつかは書きかけの原稿(ツールドフランスやテレビコマーシャルなどに関して)もあったのですが、一気に書かないとなかなか仕上げられないものです。

さて、そんな中、15日に倉敷のアイビースクエアで行われた、卒後30年を記念した高校の同窓会に行ってまいりました。十数年前に行われた会であった顔ぶれもいましたが、本当に30年ぶりに会う友人や恩師に感慨深いものがありました。あちこちで昔話に花が咲きましたが、本当にいろいろな思い出話がついこの間の話のように思われました。みんな話をするのに忙しく、食べ物にもろくに手をつけない人が多いように思われました。笑いもたえず、あちこちを歩き回って気がつけば5時からの会がもう8時半です。2次会の誘いに半分以上の人がなだれ込んでいき、私もいつまでもそこにいたかったのですが、16日を休診にしていなかったので帰らねばなりません。名古屋への終電の時間が迫り、幹事の方の厚意で挨拶をさせていただいた後に後ろ髪をひかれながら駅に向かいました。

みんなそれぞれにいろいろな世界で活躍はしているのですが、人間は高校時代のまま、そんな感じがしました。人間の性格、雰囲気はそんなに変わるものではないのかも知れません。また会える日を楽しみに、元気をもらって帰ってきました。

2008年7月7日 ウィンブルトンでの死闘

私はテニスはできませんが、NHKが中継してくれるのでウィンブルトンでの全英オープンはときおりテレビで楽しんでいます。昨夜は男子シングルスの決勝でした。ここ数年はフェデラーが圧倒的に強く、手に汗握る試合というのは楽しめなかったのですが、昨年の決勝では今回の相手と同じナダルとフルセットの戦いの末5連覇を達成、成長を重ねるナダルを今年も退けることができるか、大変興味がありました。年配のテニスファンは覚えていると思いますが、約30年前(大学生だった私は友人とともに真夜中にテレビにかじりついていましたが)ボルグが2年にわたりマッケンローと、同じようにすごい試合をしたことがありました。5連覇を果たしたボルグ、6連覇を阻んだマッケンロー、いずれも目に焼きついています。今回のケースは大変似たものを感じます。30年前もボルグを応援していましたが、今回もしらずしらずフェデラーを応援していました。

今回もまたすばらしいシーンの連続で、なかなかビデオをまわして寝ようという気にさせてもらえませんでした。さすがに3セット、4セットのタイブレークをフェデラーが制し、ファイナルセットが雨で中断した午前4時前に、もうこれは寝なければいけないと思って、テレビを切りました。結果はできるだけ知らずにビデオを見たいと思いますが、これだけメジャーな大会だとさすがに難しいでしょうか。

来院される方の中にはそんなに寝ずに外来をしないでくれ、とおっしゃる方もあるかも知れませんが、勤務医時代のことを考えればこれくらいは何でもありません。病院の先生方に比べればしっかり寝ていますのでご心配なく。(とはいえ、ベストを尽くしているとはいえないかも知れませんので今後は気をつけたいと思います。)

2008年6月20日 医療行政の転換

「医療費は抑制しなければいけない、医者が増えすぎると医療費が増えるから、医者が増えるのを抑えなければいけない。医療費が増えすぎると経済に重い負担になり、日本が二流国に沈んでしまう」という医療亡国論に従い、医学部の定員を減らし続けてきた政策がついに転換されようとしています。間違いを正すのに遅すぎるということはないともいえますが、医学部の定員を増やしてから戦力になる医師が増えるのは少なくとも8年、本当の戦力になるには15~6年の年月がかかることを考えると本当に大きな失政だと思います。むろん考えた役人や閣議決定した政治家に悪意があった訳ではないのでしょうが、一方では善意でやった医療の結果が悪かったために刑事訴訟となっている医師がいることを考えると不公平だな、と思ってしまいます。この失政のためにどれだけの人が本来受けられるべき医療を受けられなかったのか(これからしばらくの間も受けられないのか)、どれだけの医者が睡眠も満足にとれずに働かなければならないのか。ゆとり教育の転換の時にも思いましたが、少なくとも間違いを認めて、誰の責任であったのかを明らかにして転換してもらいたいものだと思います。間違いを認めない、といえばテレビのキャスターもそうです。ついこの間まで散々救急医療を批判し続けていたのに、すみませんでしたのひとこともなく、擁護のコメントばかり。言わないよりはましかも知れませんが、かっこよくはありません。

実はそんな人たちばかりではありません。奈良の病院、医師に「恥を知れ!」ということばで結んだ文章をスポーツ新聞に載せた記者がいました。ホームページに掲載された記事をみて、私は抗議の文章を送りました(おそらく何百という同様の文章が送られたと思います)。その記者はもとの文章を消すこともせず、自分が不勉強のままに怒りに任せてもとの記事を書いたことをわびた文章をのせていました。とても好感が持て、これこそが自分の発言に責任を持つ立場だと思いました。

2008年6月11日 秋葉原の事件

先日の日曜日秋葉原で大変な事件が起きました。突然の不幸に見舞われた方々に心からおくやみ申し上げます。さて事件そのものについてはさまざまなマスコミが論じているので、私の意見を述べることは避けますが、どうしてマスコミはこのことにほとんど触れないのかということが気になることがあります。それは多数の人を殺傷しナイフをふりかざす犯人に果敢に向かっていき取り押さえた警官の方々を讃えることばが聞かれない事です。仕事とはいえ多くの人々の命を守るため命をかけて取り押さえたことをもっとほめてもいいのではないかと思います。拳銃があるじゃないかという人もいるかも知れませんが、流れ弾や後の非難のことを考えると刃物を振りかざして向かってきたときになかなか引き金を引く決断も難しいでしょうし、一瞬のためらいが自分の命、同僚の命にかかわってくるのです。つくづく大変な仕事と思います。何十万人の警察官のうちごくごく一部の不心得な人が悪いことをすると鬼の首をとったように報道するのに、どうしてこうした報道をかるく流せるのか、不思議に思います。いつこういう場面に出くわしてもよいように体を鍛え、逮捕術をみがき、心の準備をしている数多くの警察官の一部がが、たまたま遭遇した場面で(残念ながら無事にではないですが)見事職務を果たしたのです。キャスターの皆様ももう少しほめてあげてはいかがでしょうか。お疲れ様、ありがとうと(全国の警察官の皆様に)申し上げます。

2008年6月2日 開業2周年

早いもので、本日で開業2周年を迎えました。多くの方々のご厚意に感謝し、社会と職員のためにもさらなる発展をめざしていきたいと思います。3年目もよろしくお願いします。

2008年5月19日 琵琶湖にいけず

5月の10日、11日と二日かけて自転車による琵琶湖一周を予定していましたが、風邪の悪化と天候の不良から、残念ながら中止しました。大変心残りではありますが、あくまで修行に行くのではなく楽しみに行くつもりですし、風邪をこじらして後の仕事に差し支えるようになっては通院してくださる皆様やスタッフに対して申し訳がたちません。ずいぶん続いた晴天の後に狙い済ましたような悪天候に日ごろの行いのわるさかな、とも思いましたが、そこまで(天の神様に気をかけていただくほど)の大物ではなく、次のチャンスに楽しみをとっておくことにしたいと思います。本格的に暑くなる前にチャンスがあるでしょうか?

2008年5月5日 だれがいったの?

あまり読まない日本経済新聞を斜めに読んでいると、築地市場の移転予定地から大量のベンゼンがみつかって、うんぬんという記事が目にとまり、そこには「環境基準並みのベンゼンを含んだ水を70年間飲み続けると10万人に1人の割合でがんが発生する可能性があるといわれている。」と書いてありました。これにはちょっと小首をかしげた後、笑ってしまいました。もちろん、他の原因でがんになった人を除いて、と好意的に読んだつもりですが、70年間で、10万人に一人がんが増えるということが意味があることかどうか疑問(というより意味の無いことがはっきりしている)ですし、どういう検証をしたらこのことを確認できるのだろうと思いました。1億人ぐらいを2つの群に分けて、半分はまったくベンゼンの含まない水をのませ、残り半分は環境基準ぎりぎりの水をのませ、70年間観察する。もちろんその他の条件は全く同じになるように調整する。このくらいのことが仮に出来たとしても10万分の一の違い(飲ませた方に500人のがんが70年間に余分にみられるという結果)は検出できないでしょうし、そんなばかげた研究はとても成立しないでしょう。少し考えてみれば疫学の研究をしたことがなくても、ノイズの大きさよりはるかに小さいと思われるこの結果が得られるはずがないということが良くわかると思います。この記事の引用元はいったいどこなのでしょうか。是非書いた記者に聞いてみたいものです。もしかするともとの文章は環境基準内の水の安全性を訴える文だったのかも知れません(そうだとしてもその根拠を知りたいですが)。揚げ足取りのようにとられるかも知れませんが、このような根拠をもとにベンゼンの危険性を論ずる記者やその記事をのせる新聞社を信用してよいものかどうか疑わしくなります。「何々といわれている」とう表現はとっても便利ですが、ちゃんと確固たる根拠を示してほしいものです。

2008年4月20日(24日記) 倉敷の同級生たち

19日に大学の同門会があり、泌尿器科医の仲間たちとの情報交換をした後、翌日は中学、高校時代を過ごした倉敷に行ってきました。多少駅前は変貌していましたが、あちこちに懐かしさを感じました。午前中は高校時代の友人に仕事上の相談に行き、夕方には大変面倒見のよい中学時代の友人が自宅で開いてくれたミ同窓会に行ってきました。開院のときにはるばる倉敷から医院まで来てくださった先生を囲み10人ほどの同級生が集まりました。その友人がつってきたメバルなどをいただきながら、いろいろな話で大変もりあがりました。なかでも中学当時どちらかといえば魅力的なワルであった別の友人が大きなスーパーマーケットの店長になっており、穏やかな礼儀正しい口調で仕事の苦労を語ったり、(私が尋ねた)人を束ねるこつやトラブルの解決法などについてすばらしい理論を展開したりしていたのに大変感心しました。経営者としてまだまだビギナーの私としては大変良い勉強をさせていただいたな、と思いますし、新しい出会いを大事にすると同時に昔の友人との交流もまた、大切にして行きたいなと思います。

2008年3月30日 年度末

6月に開院した当院は、正確には開業してまだ2年になりませんが病院を退職して本格的に準備を始めたときから数えると区切りの春を迎えました。このたびは2年後との保険制度の改訂があり、今回は高齢者の保険制度など大きく変わる部分もあって、対応に追われています。電子カルテの差し替えや新しい制度の勉強なども大変ですし、解釈が分かれるようなあいまいな通達にどう対応していいのか近隣の開業医の先生と相談したりしています。保険情報の入力などに手間のかかることもあり、診察までの待ち時間が若干長めになる方もいらっしゃるかもしれません。ご容赦の程よろしくお願いします。

今日は机の上にうずたかく積まれた(というより積んだ?)未処理の書類の山を少しだけ整理してみました。先延ばししたくなることも多いのですが、元気をだしてかたづけて行きたいと思います。

5月には自転車での琵琶湖一周にも挑戦してみたいと思います。

それでは皆様、新年度もよろしくお願いします。

2008年3月9日 名古屋国際女子マラソン

北京オリンピックの選手先行レースとして名古屋国際女子マラソンが好天の下、多数の有力選手が参加して行われました。注目の高橋尚子選手は残念な結果に終わりましたが、シドニーから8年を経て栄光に燃え尽きることなく次の目標に向けて努力されたことには本当に頭が下がります。お疲れ様でした。
私もローラー台の上で同時にスタートを切り、1時間30分を目標にがんばりましたが、途中5分ほど来客があったこともあり、タイムは1時間35分40秒でした。30kmまでは1時間でいけるのですが、やはり失速しました。ふつうの中学生、高校生なら初回でいきなり出せるタイムと思いますが、メタボ中年としてはわれながらよくここまで来たと、「自分をほめてやりたい」気持ちです。もう一息がんばって、車いすマラソンと勝負できるところまで行きたいと思いますが、もう1年はトレーニングが必要と思われます。あと15分ぐらい、なかなか大変そうです。

2008年3月8日 自転車整備

暖かな日差しの一日でしたが、今日は1年ぶりに自転車屋さんに出向き、タイヤとチェーンの交換をしてもらいました。室内トレーニングが主であったとはいえ、走行㌔数からいえば大分遅れての整備です。結構後輪のタイヤはささくれ立っており、チューブともくっついたようになって、はずすのも大変そうでした。チェーンも伸びているとのことで、交換してもらいました。さすがに帰りの走りは気持ちよく、変速もスムースに思えました。ぶらさがっている真新しい自転車をみると浮気心も起こりますが、本日ママチャリ1~2台分のお金をかけて整備したこともあり、当分はこの自転車を大切に乗っていこうと思います。

メタボ対策に自転車で、という方がいらっしゃいましたら相談にのります。楽しくない運動はつづきませんが、スピードや距離、心拍数などを見ながらする運動はメカ好きの心をくすぐります。交通事故には気をつけなければいけませんが。ヘルメットはぜひともかぶりましょう。

2008年2月17日 外来のプロ

前回書いたように16日には日本泌尿器科学会岡山地方会に出席し、外来統計を発表してきました。いろいろな病院の統計を見て、手術など治療法の変遷や最近の傾向について勉強した後、特別講演として婦人科の腹腔鏡手術の達人の講演を聞きました。ビデオに出てくるその手術はすばらしく、テレビによくでてくる「ゴッドハンド」ということばは好きではありませんが、内視鏡手術もここまで来ているんだと再認識しました。そこまで到達できた理由につき質問が出ましたが、周りの協力などの環境と症例数(手術の数)と答えられていました。確かに一年に900例以上このような手術を行うというのはどこでもできることではありません。
自分の身に置きかえて思うのですが、週に午前午後あわせて10コマの外来で、比較的多数の外来患者を診ている私としては、週に2回しか外来をしない病院の先生方に比べて優れた外来ができなければ、と改めて思います。話をゆっくりと十分にきき、的確に診断し、治療をおこなうか治療法の選択肢を示し、必要があれば専門施設に紹介する。そのためには漫然といままでの勤務医時代の知識を切り売りするのではなく、一例一例から学び直し勉強も重ねていくことも求められます。手術技術の向上に多くの時間をとられている勤務医の先生方に負けてはいられません。

学会は知識だけでなくモチベーションも高めてくれます。明日からまたがんばります。

2008年2月14日 久しぶりの学会発表(の準備)

開業してから勉強は怠らないようにと努めてきたつもりですが、学会での発表というのはまだ一度もできていません。今回は昨年1年間にどういう病気を何例診たかという外来統計を、土曜日に行われる日本泌尿器科学会岡山地方会で発表することにしました。もちろん来院いただいた方のプライバシーにかかわるような個人を特定できるものには触れませんのでご安心ください。カルテを1枚1枚開きながら(といっても電子カルテですが)受診された一番の理由の病気をカウントし、集計したものを表にまとめました。1年だと2000人近い数になりますのでまとめるのも結構大変な仕事です。ただ、カルテをくりながら復習と反省をすることや、病気の傾向や季節性を考えることもよい勉強になります。ちなみに一番多い病気は急性膀胱炎、二番目は慢性前立腺炎、三番目は前立腺肥大症でした。一、三は普通に多い病気ですが、慢性前立腺炎が多いのは一生懸命取り組んでいるからかも知れません。内科の症状での受診は少ないのですが、尿糖から糖尿病がみつかったりするケースはかなりみられました。痔やヘルニアが泌尿器科の病気と思って受診される方も多く、これらにも結構詳しくなりました。
勤務医時代は発表の準備で勉強をするということが結構当たり前でしたが、だれもお尻をたたいてくれない開業医が発表をするのは(最初のところで)結構エネルギーが必要です。ちゃんと自分で自分のお尻がたたけるようであり続けたいなと思います。

2008年2月3日 雪景色

今日もよく冷えた朝でした。外はうっすらと雪景色です。幸い交通に支障をきたすような積雪ではなく、雪の冷たさと景色を楽しむ(?)ことができました。学生のころは雪をみるとスキーに行きたくなっていましたが、今は体が動きそうにありません。聞けば、リフト待ちも少なく、日曜日でも快適にすべれるとか。来シーズンぐらいには十分に体を鍛えてもう一度行ってみたいものです。
開院して20ヶ月が過ぎ、もうすぐ2年。まだまだ軌道にのったとはいえない状況ですが、一番心配していた、「毎日が単調でつまらないのではないか」ということは全くありませんでした。いろいろなことに工夫の余地があり、それがすぐ実現できるのもいいところです。ただ、私が元気で仕事ができることが前提ですので、健康に注意してやっていかねばと思います。
2月からは新スタッフを迎えて平均年齢はぐっと若返りました。先々、ここで仕事をしてよかったと本人にもご両親にも思っていただけるように、環境を整えていい仕事をしてもらいたいと考えています。来院される皆様も暖かく見守って下さいますようお願いします。

2008年1月24日 全く知識のないことにもコメントする知識人

また今朝も、95歳の女性が救急搬送の要請をしたが、受け入れ先がなかなかきまらず2時間半かかった後に、搬送先でなくなられたという報道がされていました。たしか前回の報道ではコメンテーターの一人がこういうことは医師の偏在が原因であるから、都会から地方に医師を(強制的に)行かせる仕組みが必要だとのコメントを(生出演している厚生大臣の前で)していたと思いますが、今回は東京で起こったわけです。このたびは中年女性コメンテーターが「インターンがいるでしょう、インターンを病院に(夜中に)配置して受け入れできるようにすればいいんじゃない」ということを言っていました。現在の日本にはインターン制度はありません。研修医制度はありますが、1年目の医者はひとりで救急患者を診察しないように定められています(おそらく、これも以前に比べて夜間診療の医師不足の原因となっているのだと思いますが。もちろん、経験のない医者もひとりでみていた以前のほうがよかったといっているわけではありません)。前にも書きましたが、現在の夜間救急は勤務医の犠牲の上にかろうじてなりたっているものです。夜中に必死で治療に当たっている医師はその前の昼間も、次の昼間も続けて仕事をしています。研修医も先輩当直医といっしょに、夜中に一生懸命治療に当たっているのです。
それではどうしてこのような問題がおきるのか。いくつかの原因があるのでしょうが、最大のものは医療費を抑制するという国策にあるのだと思います。医療は年々進歩し、高度化していますが、それにともないお金と手間(人手)もかかるようになっています。高齢化の進む中、今の医療費削減政策を続けていけばますます必要な医療が受けにくい世の中になっていくでしょう。ゆとり教育と同様にどこかで方向転換がなされるのでしょうが、専門医を育てるには(大学入学から)15~16年かかります。その間のツケは医者や病院に払わせるのでなく、現在の議員を選んだ国民が(夜中に具合が悪くなったら必要な医療が受けられないかもしれないリスクとして)払わなければならないのでしょう。二番目の問題としてマスコミの、特に今回見られるような一見知識人の場当たり的な感想がテレビで全国にたれながされる、ことがあげられます。「たらい回し」だの「受け入れ拒否」だの言われた上に、翌日にはどうして断ったのかと取材がやってきます。こんなことなら救急などはやらない方が楽だと、思う医師、思う医療機関が増えてきても全く不思議はありません。次の日に取材をするくらいなら一晩救急病院でいっしょに過ごせば、どうして断らなければならないのか、すぐにわかります。できればそのまま次の日も仕事をしてみてほしいと思います。それがどれほど大変なことか身にしみるでしょう。

2007年1月17日 震災後13年

震災のときに岡山大学で仕事をしていた私は阪神大震災のときに震度4の地震で飛び起きました。たいした被害もなく、テレビも神戸の様子を報ずることなくいつものように仕事にいって、徐々に伝わる神戸の姿に息をのんだことを思い出します。あれからもう13年たつのかと時の早さを感じます。数多くの亡くなられた方、ご遺族の方、家や財産を失いご苦労をされた方にとっては途方もない災難であったわけですが、われわれもいつ来るかもしれない東海地震への備えを怠ってはいけないなと思います。建築してくださった設計士さんも地震に耐えうるだけでなく、避難所として機能することをめざす、と言って下さいましたが、我々も心構えだけでなく非常時に備えることが必要だな、と思います。気がつけば神戸を覆っていた青いビニールシートは影も形もありませんが、節目の日には亡くなった方に手を合わせ、災害に対する備えを確認して行きたいと思います。

2008年1月4日 届かなかった年賀状

今年は驚くほど元旦に受け取った年賀状が少なく、こちらが年末ぎりぎりに用意したことは棚に上げて、少し寂しい思いをしていました。医院の郵便受けを開けてみても1枚の年賀状も無く(後で考えればここで気づくべきでしたが)、2日の夜に帰った姫路の家にも数枚の年賀状があるだけでした。所詮は虚礼と強がってみても、なんとなくもやもやしたものは残り、日ごろはあまり気にしていなかった年賀のあいさつにとっても励まされたいたことを知らされました。
さて、本日1月4日、医院にでかけて何気なく郵便受けを開けてみるとそこにはいつもの厚みの年賀状の束が届けられていました。大急ぎで返事をかかねばならない十数枚の年賀状を書き上げ、郵便局にこれはどういうことかと問い詰めました。むこうに悪気は無く、医院が休みの間になくなってもいけないのでというコメントでしたが、それならばなぜ(預かっていますよと)一枚のメモを入れてくれなかったのかと思いました。こちらで預かっているといわれれば取りに行くのにやぶさかではありませんし、医院の郵便受けには鍵もついています。昨年は普通に入れていただいていたので、これも民営化してからの工夫ではあったのかも知れませんが、官の気持ちが抜けないまま、一生懸命考えてのサービスだったのかもしれません。感覚がずれていないか、(根っからの)民間の人の意見を聞いてみたらよかったのかもと思います。
振り返って我々もまた、良かれと思ってするサービスがかえって来院された方々の不利益になることがないようにしなければならないな、と改めて考えさせられました。必要なことは来院された方々の身になって考えること、来院された方々の意見を直接聞いてみて取り入れることだと思います。
1月4日ではありましたが、今年の年賀状はいつもにもましてありがたく、一枚一枚噛みしめて読ませていただきました。今年は良い教訓をいただいたわけですが、来年は是非1月1日にいただきたいと思います。安全を考えるのなら、預かっていますよのメモを忘れずに、よろしくお願いします。

2008年1月1日 新年のご挨拶

新年おめでとうございます
早いもので、2度目の新年を迎えることができました。今年も初心を忘れることなく、通院してくださる皆様の健康と快適な生活の維持に努めて参りたいと思います。
今年もよい年でありますように

2008年元旦